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  • 執筆者の写真yagiwataru

積み上げること


毎日の努力は小さくても、積み上がると大きくなっていく。20代では差がついてなくても、30代40代で大きく差が開いてしまう。時間の流れは本当に残酷だ。

積み上がる行為と積み上がらない行為は何が違うのかという話もある。 毎日少しずつ進歩していると感じたら積み上がっているといえる。そういう意味で、手を動かすタイプの技術は積み上がりやすい。昨日よりうまくいく感覚が掴みやすい。一方、頭で覚えていくタイプの知識は積み上がりの実感を得るのに時間がかかる。覚えた知識はすぐに忘れるし、わかったような気になっていても、いざ人に説明しようとするとできないことも多い。積み上がっていることを他人に証明するのも技術に比べると難しい。それでも、仕入れた知識を毎日整理していく努力を積み重ねれば、何かが積み上がっていくはずだ(漠然)。

こんなことを書いているのは、東村アキコさんの『東京タラレバ娘』(シーズン1とシーズン2の最新巻まで)を読んだからである。この漫画は結婚できるや否やを軸にした女性の物語だけど、男性が読んでも「ウッ…!」と胸が痛くなるところが多々ある。それは、なぜ今うまくいかないかの原因は「過去の日々の時間の使い方にある」と繰り返し伝えているからである。 20代のころは自分と同じスタートを切ったのは同世代の人たちばかりだと思っていた。スガシカオも似たようなことを言っている。しかし30代になって走っていると、すぐ横に20代の若者が並んでいるので驚く。君は一体どのスピードで走ってきたんだ。 仕事の面で若い人に一瞬で抜き去られていく日々に、一体どうしたらええのかと呆然としてしまうことが多々ある。「俺は仕事ばっかりやってきたんじゃなかったっけ?それなのに一瞬で抜き去られてるちゅうのはどういうことなんだ」と、ダークサイドに転びそうになる。 *** 自分と他者を比較しやすい昨今である。

SNSのない時代は、他人の活躍を見るのは、「活躍している場」だけだった。イラストレーターでいうなら、雑誌や書籍などのメディアを通じてしか、そのイラストレーターの活躍を見ることがなかった。しかし今は、雑誌や書籍を見なくても、SNSを見ているだけで、誰かの活躍が目に入ってくる。だからうっかりしていると、分不相応かもしれない誰かと自分を比べて見てしまうことになる。SNSにはさらに、数字というパワフルなものが加わって、他人との比較が容易になっている。フォロワー10人とフォロワー10万人は大きくちがうちゅう、バカでも差が見えるヤツである。

しかし、ここで呆然としている時間が一番無駄ではある。呆然としている暇があったら何かを積み上げたほうが良いという単純な結論だ。

そんな結論に至って、自分が毎日なにを積み上げたかを自覚しながら生きていきたいと思いながら、それなのに惰性で時間を浪費してしまうのは、長年染み付いた生活習慣であり、こういう生活習慣を打破しなければ、積み上げるとかいう崇高な行為は程遠い。惰性とは、「昨日と同じ」を繰り返すこと。努力とは、「昨日とはちょっと違うなにか」に挑戦することだ(言い切る)。言い切っているわりに、努力が全然足りてない。ぼやいても嘆いても反省しても、時間は残酷である。

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(補足) 自分の持てる時間をすべて「自分磨き」ちゅうもんに使った場合、確実に自分は磨かれていくとは思うのだが、だとすると子供を生み育てるちゅうのは一体どういうことなのか?とか考えている。

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